宿のご紹介です
白銀荘について
しろがね荘は、昭和37年、旅館として建てられました。昭和の後期テニス合宿の先駆けとして本格的にテニスコートを造成、山中湖テニス民宿村を形成いたしました。以来、平野旅館民宿組合 をリード、軽井沢、白子など全国の合宿のシステムを構築しました。
しろがねの名前の由来は、富士の白銀より命名されました。 人間の成長過程である小学校から高校、大学までいわゆる情操教育およびFRIENDシップの学び舎のための宿としてまた、日本のテニス民宿発祥の宿として皆様にご利用いただいております。テニス合宿キャンプはもとよりGREEN SCHOOL(林間学校)、オリエンテーションなど学生さんの、またクラブの合宿のメッカとして(声楽、管弦楽、ダンス、剣道、卓球、各種文科系クラブ・・・・) お客様の皆様に、素敵な空間を提供いたしております。本当の自然とは?触れてみる、要素はあなた次第です。 きっと、感動するでしょう
世界遺産の山 富士山 と 山中湖
標高3776メートル 雪の白さに峰のかがやき、東洋一そして世界一といわれる独立峰。昭和の時代には多くの画家が筆を取り、写真家がその一瞬、一瞬にチャンスをかけ、その感動を残しております。そんな富士山は当然 目の前 当館の ライブカメラ が、今現在の富士を見せてくれます。見たいときいつでもok!!現在まで有名な画家、写真家の方々にご利用いただいております。
創立当時の白銀荘の外観
旅館 白銀荘 当時、冬は”わかさぎ釣り”が有名でした。テレビ、各部屋の電話の機型が時代を感じさせます。
創立当時の館内
山中湖 富士五湖の中でも特に標高が高くまた、富士に一番近い湖が、山中湖です。標高985メートル、 周囲は約14キロ、標高は日本国内3番めの高さ、富士五湖では一番面積の大きい湖です。最近、温暖化で結氷の期間が短く わかさぎの穴つり の機会がへってしまったのはとても寂しい。ちなみに上下水道完備によりその水質は過去をとりもどしつつあります。
現在もかわらない富士山と山中湖の眺め
現在山中湖の恒例イベントカレンダーは山中湖観光協会 を参考してください。スポーツはもちろん、音楽イベント、地域の祭典等が掲載されております。すてきな空間が経験できます。